杢兵衛の部屋
2022 ギャラリー湯山(新潟県十日町市松之山)
このギャラリーのある松之山はかつて地すべりが多かった所です。
地すべりは1日に数センチずつ大地が動き、家屋や田畑を破壊する「一寸刻みの恐怖」とも呼ばれる異様な災害です。
500年前、この地に大規模な地すべりが発生し、それを鎮めるため自ら人柱になった杢兵衛という若者(古老という説もある)がいたという言い伝えがあります。
私はこの部屋を「杢兵衛の部屋」と名付け、太古からの自然と人間との関係、死者と生者との関係を考えます。
ちなみに、奥の部屋の床の間にあるのは、卵の内皮を乾かしたもので、作者・巳巳とその家庭で溜めた約30年分です。死者に手向ける花と供え物の意味があります。
作品に使われている本については、杢兵衛は文字が読めなかったであろうと思われ、犠牲になるほどの胆力の持ち主であり学問すれば一角の人物になれたであろうという追悼の意と、歴史は書かれた文字として伝えられるということを表します。
第1室
第2室
(壁面に書いた文章全文)
松之山は地すべりの多い場所である 地すべりは大地が一日に数センチ程度ゆっくりと動き家屋や田畑を少しづつ破壊していく 一度滑り始めるといつ止まるとも知れず夜中に家がミシミシと音を立てるため「一寸刻みの恐怖」とも言われる。
松之山は緩やかな傾斜地形であり水を吸い込みにくい地盤の上に柔らかい粘土の土壌があること そして有数の豪雪地帯であることが地すべりの要因といわれている 雪融けの水が粘土層に沁み込み地下水の水圧を上げて地すべりとなる 地すべりが起こる土壌は粒子の細かい粘土質であり水持ちがよく肥料もよく蓄えることから耕地に適している 棚田のある場所は大抵地すべりの跡でありこの地に如何に地すべりが多かったか伺い知れよう
今からおよそ五百年前の文禄年間に、この地に大規模な地すべりが発生した 人々は不安と恐怖でなすすべもなく話し合っていた 人杭を打てば地すべりは止まるのではないかとの話になったが恐ろしさに誰も自ら犠牲になろうという者はいなかった。寄合いの中で隅に座っていた杢兵衛という若者が褌*につぎはぎをしている者を人柱にすることを提案した そこでひとりひとり褌を検めたところ 杢兵衛だけがつぎはぎをした褌を締めていた 杢兵衛はただ日を決めてくだされと言い残して帰った 杢兵衛は白木の箱に入れられて土に埋められた 人々の流す涙は滝のようであったという 杢兵衛が埋められた場所はここからほど近い兎口という場所であると伝えられておりそこには碑が立っている
この話は諸説あり名を杢右エ門とする説もある 若者ではなく古老であり、くじ引きで決めたという説もある
地すべりを止めるために人柱となった話は新潟県の別の場所にもある 昭和十二年 上越市板倉町の畑から甕の中に座禅を組んだ状態の人骨が発見された。八百年前この地が地すべりに見舞われたとき偶然訪れた旅僧が自ら人柱となったという伝説があった この発見によりそれが事実であることが明らかとなった 骨は現在保存処理が施され上越市板倉町の猿供養寺に展示保存されている。
昭和三十七年 松之山の広い範囲に大規模な地すべりが発生した 大地は一日数センチずつ移動し続け 人々は傾いた家屋を丸太で支えたり家の土台をジャッキで支えたりして凌いでいた 家屋も田も道路も破壊され学校も使えなくなり移転を余儀なくされた 現代においては人々は土木技術で地すべりに立ち向かった 最新の土木工法が開発され次々と導入された 地下に放射状の水路を作って溜まった水を抜いたり 長い杭を打ち込んで大地を留める工事などが行われた こうして約三年もの歳月を要しようやく地すべりを止めることができたのである
*褌(読み:ふんどし)